2022
PROJECT06 | 外国人と友だち 隊員活動レポート
佐賀県庁の国際課で、令和3年12月より活動を始めた「多文化コミュニケーションプランナー」の武田有里子さん。ドイツからの遠距離移住を経て、佐賀での暮らしももうすぐ1年が経ちます。おじいちゃんとの思い出深い佐賀に戻ってきて、どんな1年を過ごしてきたのでしょうか。お話しを伺ってみたいと思います。
武田さんが所属する国際課には、頼りになる先駆者でもある北御門織絵さんや担当職員の皆さんがいらっしゃいます。北御門さんや他の皆さんと一緒に、これまでどんなお仕事をされてきたのでしょうか。
武田さん(以下、武田) 県庁という行政機関で働くのが初めての経験だったので、まずは北御門さんについていき一つずつ学ばせてもらいました。県庁は民間とは違うちょっと特別な場所だなと感じていて、まだ慣れないところも多いけど頑張っています。仕事としては、コロナの影響により、なかなか来日できず、当時自国に待機していたミャンマー人留学生と佐賀の人たちを対象に、オンライン交流の場を設けました。日本人参加者には、「やさしい日本語」を知ってもらい、留学生には、佐賀に来た時に知り合いがいるという安心感をもってもらえるように、企画を考えました。
武田 県庁では、多文化交流サポーターというボランティア制度があり、国際交流に興味のある県職員の方々が登録されています。まずはその方々にイベントのお声がけをしました。すると、何名か集まってくれたので、一緒に「佐賀とミャンマーのオススメを"やさしい日本語"で紹介し合う」オンライン交流を行いました。
その後、無事に来日できたミャンマーの方々と多文化交流サポーターの皆さんとで交流イベントを3回実施しました。ミャンマー語でうちわに名前を書いたりして、最後はお互いに作ったうちわを交換してより交流が深まりました。
いまも参加者同士で交流を続けていて、一緒にお祭りに行ったと聞いています。今回は多文化交流サポーターの方々と一緒に企画を考えましたが、次の段階では、ミャンマーの方々とも一緒にどうしたら良いイベントになるかを考えることで効果的なシナジーが生まれるのではと考えています。
武田 こういったちいさな交流が生まれ、そこから次の結びつきが生まれていく。そういうのが理想的です。でも、これを地域という枠に広げるとスムーズにいかないことも出てきています。まずは私自身が仲間づくりを進めていくことが必要だと思っています。
そこで私は仕事の中で、1年間で達成したい3つの小さなステップを定めました。最初のステップ1は、『地域の人に"やさしい日本語"を学んで使ってもらおう』。今はステップ2、『外国の方々と地域の方々が密なコミュニケーションを取り、関係性を作っていく』という段階に入っていて、北御門さんや国際課の皆さんにアドバイスを受けながら実行に移しているという感じです。これを他の市町でも進めていくのが、2年目の仕事になるかな。
話を聞いていると武田さんが1年目からとてもいい形で活動をスタートされたことがわかります。小さな関係性づくりから少しずつ新たなコミュニケーションが生まれているようです。
順風満帆に歩を進めている武田さんですが、大変なことはなかったのでしょうか。
武田 私としては、うまくいっている印象はないです。計画通りに進めていくのがあまり得意ではないんです。未だに県庁のルールも理解できていないことも多いので、そのたびに周りの同僚たちに助けてもらってます。文章を書くのも苦手で、メールや報告書など、時間がかかってしまいます。
一番大変だったのは、『課題が分かっていなかった』ということ。多文化共生ってこんな感じだろうな~というイメージはありましたけど、実際に動いて話してみてそんなに簡単なものじゃないことが分かりました。制度的な課題などすごく根深い問題が多いんです。
武田 そんな中でも「私が求められていることはこれかな」と感じる機会がありました。それは、今年4月に江北町で開催した交流会です。そこでは江北に暮らす技能実習生や介護施設で働く外国の方々、そして地域の婦人ネットワークの皆さんがお互いに初対面で参加しました。
最初はみなさん、とても緊張していてぎこちない様子でしたが、プランターの花の移し替え作業を一緒にやったり、"やさしい日本語"を使ったお話し会で和気あいあいと過ごしていくうちに、うちとけました。最終的には技能実習生が江北のご婦人と手を繋いで「この方は私の日本のお母さんです」というほど仲良くなってくれました。その後も、一緒に子ども食堂のお手伝いをしたり、ラジオに出演したり……。交流が続いていることを、江北町役場の職員さんが連絡くださったことも嬉しかったですね。
ちいさな交流でいいから、その数を増やしていくことが大事なんだと思います。最初はよそよそしかったのに、交流会を通じてお互いのことを知ったらすぐに打ち解けられる。本当にささいなきっかけで、人生の幅って大きく広がるんです。外国人だろうが日本人だろうが、みんな同じ佐賀県民。それに気づくきっかけを与えるのが、きっと私の仕事なんだと今は理解しています。
うまくいっていないと言いながらも着実に小さな交流の種はつぼみを付け花が咲きつつあるようです。最初は知らないことはだれでも怖いものです。武田さんは「怖い」を少しずつ「笑顔」に変えています。
話を聞けば聞くほど、武田さんがこの仕事に対して真摯に取り組み、自分で課題と答えを探していこうとしている姿が印象的です。そんな武田さんが、現時点で考えているこの仕事のゴールを教えてもらいたいと思います。
武田 今思い描いているゴールは、「居場所」をつくることです。佐賀に住む外国人住民の多くは忙しくて、交流したいと思ってもイベントに参加できないことが多いと思います。「外国の人は忙しいから貴重な休日を使って交流したいなんて思わないよ」という人もいます。だけど、交流したい人のために、常に居場所はあった方がいい、と私は思うんです。当たり前だけど、外国人だって寂しいんです。もちろん日本人だって。おしくらまんじゅうじゃないけど、集まったらぽかぽか温まるような場所をつくりたい。それこそが、多文化共生なんだと思います。
武田 先ほどステップ2まで話しましたが、ステップ3としては『いま協力してくださっている人たちを、居場所づくりの仲間にする』ことだと考えています。多文化交流サポーターだけでなく、大学生たちの熱意もとにかくすごいんです! 彼らには、佐賀にもっと愛着を持ってもらいたいし、地域のためにできることを楽しくやってほしいですね。地域日本語教室などの活動も高齢化していますが、それをただ若者に引き継ぐのではなく、新しい関わり方を作り出していくのがいいと思います。そんなことを、北御門さんや国際交流員さんたちと一緒に話しています。
いつも明るく、関西のノリでみんなを笑わせてくれる武田さん。その明るさが少しずつ、佐賀県全体に伝播していく日も近そうです。「外国人と日本人、みんなおんなじ佐賀県民」、武田さんの想いが多くの人たちに伝わり、温もりのある繋がりがたくさん生まれていくことを同じ佐賀県民として応援していきたいと思います。
取材・文 佐々木元康
※この記事は2022年10月取材時点のものです。