vol.5 2024.3.12

佐賀に行ったこともなければ、協力隊のことも知らなかった夫婦が移住するまでの話。前編

「これに応募する!」
「え! どれ!?」

地方移住になんてちっとも興味のなかった夫(当時、婚約中で同居していた)が選んだのは佐賀市三瀬村の地域おこし協力隊の募集でした。


というわけで、佐賀な人と未来をつなぐウェブメディアSMLで自分のことを書くのは今回がはじめての門脇恵(かどわきめぐみ)と申します!
一般社団法人佐賀県地域おこし協力隊ネットワーク(通称SCN)の代表理事をしています。他にも、全国の地域おこし協力隊の皆さんの相談窓口を担っている総務省の「地域おこし協力隊サポートデスク」の専門相談員もさせていただいています。
移住当初は自分がこんな仕事をすることになるとは夢にも思っていなかったのですが、気が付いたら地域おこし協力隊という制度を軸として、人と人をつないだり、人と事をつないだり、そんなお仕事をさせていただくようになりました。

この連載「佐賀ぐらしの歩きかた」は、協力隊OB・OGであるSCN3名による連載記事です。今回は私自身が佐賀ぐらしを歩き始めたきっかけのお話を書きたいと思います。

タイトルにもある通り、実は私は2014年に地域おこし協力隊として移住するまで佐賀の地に足を踏み入れたこともなければ、地域おこし協力隊のことも全く知りませんでした。
これは、佐賀あるある、地域おこし協力隊あるあるだと思うのですが、佐賀に移住した人で、佐賀という選択肢を視野にいれていた、佐賀に行ったことがあったという人と、全く考えてなかった、行ったこともなかったという人の割合は体感としては半々くらいなのではないかと思っています。(もしくは、後者の佐賀という選択肢を考えてなかった人や通り過ぎたことしかないといった人の方が少し多いくらいかも……?)

同様に地域おこし協力隊についても意外かもしれませんが、体感としては地域おこし協力隊になりたくてなった人よりも、たまたま選択肢として地域おこし協力隊を選ぶことになったという人の方があきらかに多いのではないかと感じています。私たちも本当にたまたま地域おこし協力隊として移住しただけだったんです。

そんなわけで、冒頭に触れたように、佐賀への移住を選んだのは私ではなく、夫でした。夫は北九州の遠賀町という福岡県だけど割と田舎な地域の出身です。大学から東京に出て、地方に戻る気はちっともありませんでした。
一方で、私の生まれは東京都墨田区。親の転勤の都合でスリランカ、三重県の伊勢市などいろいろな土地で暮らしたものの、最終的に実家は埼玉県にあり、佐賀に来る直前も埼玉から都内に仕事に通っていました。

都会の暮らしと地方の暮らしの両方を体験した私は、伊勢で暮らしていた小学6年生のときに「大人になったら自分のふるさとと呼べる山を探して山に住もう!」と子どもながらに心に決めていました。いずれは、首都圏に帰ることを決められていたので、大人になって自分で選択できるようになったら、都会でできることをやりつくして地方移住すると決めていたんです。

地方に移住しようと思ったのにはいろいろな理由があるのですが、大きくは2つです。1つ目は里山的な暮らしがしたかったこと、2つ目はこれからの時代は地方から新しいものが生まれる時代になるのではないか? というわくわく感でした。

1つ目の里山的な暮らしがしたかった背景には、小学生のころに伊勢で山と海と川を駆け回って遊んでいたことと、そのころに、たまたま授業の一環で川上から川下までの水質調査をさせてもらったことがきっかけとしてあります。山から生まれる1滴の水は清らかで美しいのに、生活排水が途中からどんどん流されて、最終的にはきれいになりきったのかわからないまま、美しい海に廃水が流されていくのを見たときに「これはどうにもならないな」と衝撃を受けました。水に限らず、限りある資源を大量に消費していく、「この社会の仕組みを私は大人になったとしてもたぶん変えることはできないだろう。でも、本当にこのままでいいのだろうか?」そんなモヤモヤをずっと抱えていました。

そして、あるとき、考えに考えた結果。もし何かできることがあるとしたら、それは山を守り育てることや里山的暮らし方を実践し維持することなのではないか? という、私なりの1つの結論に至りました。海の水が蒸発し雲になり、雨となり、山に降り注ぐ、そして山で1滴1滴の水が濾過され浄化され、また清らかな1滴の水になる。この循環の大元には豊かな山がある。全部は変えられないけれど、自分にできる最大限のこととして、わずかなことしかできないけれど、私は豊かな山とともにありたい。そう考えたことが移住のきっかけでした。

2つ目のこれからの時代は地方から新しいものが生まれるのではないか? というわくわく感は、実に直感的なものではありますが、子どものころから都会と地方を行き来する中で時代の風向きが変わっているのを肌で感じ、わくわくするのは地方だと考えるようになりました。これは、移住を検討している方や移住を実際にされた方、地方に関わっている方には多かれ少なかれ、共感してもらえる感覚なのではないでしょうか?

そんなわけで当時、移住を検討していたのですが、私は本当は結婚して夫の地方転勤についていくはずだったんです。ところが、99%地方都市への転勤だと言われていた夫がたった、わずか1%の都内勤務に路線変更されたんです……!! そんなばかな! もう結婚するのやめようかな……。くらいの衝撃でした(笑)。

元々地方出身で、都会に憧れて上京してきた夫は当然、都内勤務万歳! モードです。私もおとなしく都会でもう少し暮らすか……と考えはしたものの。いやいやあきらめられない! と夫に地方移住の魅力をPRしつつ、移住情報を集める日々のはじまりです。

当然ですが、夫はちっとも地方移住にはなびいてくれません。これはもう別れて単身移住かな? と思い始めたころに、たまたま都内で開催された移住イベントに行き、たくさんの地方移住のチラシをもらって帰ってきました。何も言わずに、部屋の隅にポーンと置いておいた1センチは厚みのあるチラシの束。どういうわけか、それを1枚ずつ見てはめくり、見てはめくっていた夫は突然「これに応募する!」と、冒頭のやり取りに至ったわけです。どういうこと…!? 私全然理解が追いつきません……! 地方は嫌って言ってたじゃん! いったいどれに応募するっていうの!?

後編につづく。

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