PROJECT010 島と人

違う場所で聞き書きしてきた2人が、 佐賀の島で始めた挑戦

島の記憶を記録に残す「七つの島の聞き書きすと」
長谷川 晶規(はせがわ あきのり)さん
長塩 千夏(ながしお ちなつ)さん

取材・文 橋本 高志

PROJECT 10

唐津市北西部、玄界灘に浮かぶ小川島。捕鯨で栄えた歴史を持ち、現在もイカ漁で知られています。約300人が暮らすこの島で、2人の地域おこし協力隊が活動を始めました。

2人は「七つの島の聞き書きすと」として、小川島と周辺に連なる島々から、人々が紡いできた記憶を集め、アルバムをつくります。島ごとに異なる産業や暮らし、それは島文化と表される無二のもの。今回、島民の仲間入りをした長谷川晶規さんと長塩千夏さんに、心境を尋ねました。

ずっと、聞き書きすとでした。

「七つの島の聞き書きすと」の募集が始まったとき、長谷川さんは別の島で暮らしていました。どのように佐賀と結びついたのでしょうか?

長谷川さん(以下、長谷川) 広島県呉市の大崎下島(おおさきしもじま)で、訪問看護の仕事をしていました。本土から橋を渡って自動車で行けるため、島と言っても比較的便利で、今回の小川島とは全然違う環境です。利用者さん(訪問看護では”患者”ではなく”利用者さん”と表現します)が待っているお家を訪ねて、体調の確認やお困りごとのケアを行っていました。

利用者さんとは、病気や介護のことばかり話すわけじゃないんですよ。それよりも、畑の野菜や、その人の暮らしについて話すほうが多い。話の内容や様子から、体の変化がわかることもあるんです。いつもビシッとした身なりをしているのに、急に気にされなくなった利用者さんがいました。なんだかやる気を失っている感じなんです。飲んでいる痛み止めの薬が効かないと言うので、話を聞いていくと、薬の飲み方を間違えていることがわかって。正しく薬を飲んだら元気になりました。

それから長谷川さんは一度大阪に戻った後、小川島にやってくることになりました。

自分の話をするだけではなく、人の話を引き出すのが得意な長谷川さん。

挑戦を続けることで、自分の表現ができるように。

長谷川さんは、どうして島に着目したのでしょう? そして、七つの島で活動を始めるにあたって、どんな目標を抱いているのでしょうか? お話を伺いました。

長谷川 昔、流行っていたドラマで、東京の医師が島の診療所で働く物語があったじゃないですか。あれにすごく憧れて、へき地というか田舎に対して関心を抱くようになりました。実は、看護師になるきっかけも、あのドラマでした。でも、都心部でしか暮らしたことがなかったので、すぐ島に行くのは勇気が出なかったですね。あと単純に、大阪には綺麗な海がなくて(笑)。美しい海への憧れがあることも、島に惹かれる理由の一つです。大崎下島に行ってからも、島の情報収集はずっとしていて。あまり知られていない小規模な島や、過酷な島で暮らしてみたいと思っていました。

島への想いに溢れた長谷川さんは、いろんな島での暮らしやその文化をもっともっと知りたいそうです。

長谷川 27歳の時「挑戦したい」と思って故郷の大阪を出ました。それから医療の現場だけじゃなく、精密機械や医療機器を扱う会社、ウェブ関連の会社などで働きました。会社に勤務しながらデザイン学校に通ったことも。挑戦していない自分はよくないなって思うんですよね。個人的には、これからの三年間で、表現をカタチにできる人になるのが目標です。しっかりと”聞き書き”を形にして、伝えられるようになりたい。そうして、自分を受け入れてくれた島の人たちに、お返しができたらいいなと思っています。

地域で差がある関西訛りの中でも、はんなりとした柔らかい口調で話す長谷川さん。誰とでも自然体で接するコミュニケーション力で、島の人々の心をつかんでいきそうです。

島のおばあちゃんとはすっかり仲良くなって本当の家族みたい。すぐに打ち解けられるのも長谷川さんのすごいところです。あっという間に島ごはんのできあがり!

描きたい気持ちを、もう一度取り戻す。

もう一人の「七つの島の聞き書きすと」長塩さんは、故郷を佐世保に持つJターン。どのようにして佐賀に辿り着いたのでしょうか?

長塩さん(以下、長塩) 上京して通った美術大学で洋画を専攻し、そのまま地元に戻らず東京周辺で就職しました。掛け持ちで働いていて、一つは都内にある哲学系のベンチャー出版社です。トークイベントやスクール事業も行う会社で、私はマンガ教室を運営するお手伝いをしていました。もう一つは、神奈川県の美術大学です。助手として、授業の準備や学生をサポートする仕事でした。でも、もともと、ずっと東京にいるつもりはなかったんです。人ごみが苦手で、一人で遊ぶのが好きなタイプだから(笑)。

長塩さんの手描きのイラストはどれもかわいく、ほっとするものばかり。島でどんな作品が生まれるのか楽しみです。

長塩 都会では、目の前のタスクをどれだけ効率よく処理できるか、みたいな意識が働いていました。休日は、ひきこもるか近場の山へ出かけてスケッチをするんですが、どういうわけか萎縮してしまうんです。そのうち、描きたいって気持ちが薄れていくのを感じて「田舎もいいかもなあ」って思うようになりました。九州に戻ることも視野に入れて、情報を探していた時に見つけたのが「七つの島の聞き書きすと」です。実は、2021年に佐賀県庁が主催した「伝統工芸の仕事体験インターンシップ」に参加したことがあって。その時に感じた佐賀の印象がよかったので、今回も臆せずに応募できました。

私、なんでも記録することが趣味なんです。いつも文庫本サイズのノートを持ち歩いていて、思ったことや買い物したものを書き留めるのが習慣になっています。メモのような日記のような。マンガみたいに書く日もあります。直感で書くから、後で見返すと自分でもカオスだなって思える内容になっていておもしろい。記録が積み重なっていくことに、喜びを感じるんです。

広い家を活用して大きな作品にも挑戦してみたいと話す長塩さん。どうやってキャンバスを船に乗せて運ぶのかが悩みどころだとか…。島らしい悩みです。

海と島と人は、仕事だけじゃもったいない。

自分自身の「聞き書きすと」だった長塩さん。島暮らしが始まって、創作や活動への思いはどのように変化したのでしょうか?

長塩 島に来てからスケッチしたいと思えるようになりました。海を描きたい。でも、本当は人間かな。海は、いつ見ても表情が違っていていいなって思います。漠然と眺めるものじゃなくて、もっと距離が近くて身近なもの。例えば、天候が悪くて時化(しけ)ている時は、船が出ないじゃないですか。海が暮らしの一部なんだと実感しています。生活面では、魚を食べる機会が増えて、以前は肉派だったのに、最近は魚が急速に追い上げ中です。それと、人生でひさしぶりに日焼けしています(笑)。

私は、聞く力がないというか、話す引き出しが少ないので、島の歴史を勉強しないといけないなって思います。「七つの島の聞き書きすと」は仕事ですけど、できれば仕事抜きで話せるような、人間対人間という感じになれたらいいですよね。こんな素敵な場所に来れたんだから、そうしないともったいない。長谷川さんと2人で一緒に活動すると、いかにも仕事で圧迫感を与えてしまうので、島の方が身構えてしまわないように気をつけたいです。

話しぶりは都会的だけど人懐っこい長塩さん。これから島で経験する出会いは、どれだけのノートを埋めていくのでしょうか。

取材後、2人と一緒に港まで歩くと、すれ違う顔見知りの方たちと自然な掛け合いができていました。凪いだ海のようにリラックスした雰囲気で、島民同士にしか見えません。どうやら、小川島は居心地がよさそうです。

取材・文 橋本 高志

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