PROJECT01 山と人

多良岳は、よりどころ。 人も仕事も、ご縁はすべて山の上で繋げていく。

多良岳のトレッキングガイド
池田清哉さん

取材・文:いわたてただすけ

PROJECT 1

惚れ込んだ山に登り続けただけ。それがいつの間にか、ライフワークになっていました。登山ガイドの池田清哉さんは、本業であるサッシやリノベーション業のかたわら、毎週何度も多良岳に登り続けています。多良岳は佐賀県太良町と長崎県諫早市の県境にある標高996メートルの山で、トレッキングルートとして、初心者から上級者まで幅広い層に人気があります。
週末だけでなく、平日にも。「ガイドをお願いします」「ちょっと相談したい」「池田くんに教えておきたいことがある」…誰かに呼ばれると、暇さえあれば、いえ、なんとか暇をつくりだして、池田さんは多良岳に通い続ける日々を過ごしています。

修験の山として知られる多良岳の麓に生まれ育った池田さん。物心つく前から多良岳を身近に親しんできました。しかし、6年前に本格的に登山を始めて、いよいよその愛情は深まるばかり。「やっぱり多良岳に惹かれます。すごく惹かれます。山は趣味。いや、趣味を軽く超えてライフワークですもんね」…池田さんは山で何をしているのか。今、山に必要とされている仕事とは何か。あふれる想いを語っていただきました。

山の知識と知恵は、山のお師匠さんから受け継いだ

池田さん(以下、池田) 多良岳は植物もすごいし眺めも歴史もすごいとですよ。たとえば「オオキツネノカミソリ」っていう高山植物が7月末からお盆にかけて咲いて、山一面がオレンジ色になるんですね。他にも「ホソバナコバイモ」は準絶滅危惧種になってるんじゃないかな。珍しい植物を見るために遠くから来られる方も多いです。

池田さんと山に登った人は、途切れることなく繰り出される「山の知識や知恵」に圧倒された、と言います。こうした知識や知恵は、すべて山のお師匠さんたちから学びました。

池田 私は山に登り始めてまだ6年くらいですから、もっと多良岳にくわしいお師匠さんが、たくさんおらすですよ。植物のお師匠さんはインターネットよりもずっとくわしい。山で写真を撮って「この植物は何ですか?」とLINEで聞いたら、10分もしないうちに返事が来てものすごい量の説明がついてきます。それに多良岳は西暦600年の頃から、何百人も修行僧がおった修験の山だったんですね。山頂に近い890メートルくらいのところに水が湧きますもんね。だから高所で修行ができた、だから高所に石像もたくさんある。そういうのは歴史のお師匠さんから学びました。

まだまだわからんことだらけ。謙虚ではなく本心で強調する池田さん。もっと多良岳を知りたいから、もっと多良岳を楽しみたいから、どんな誘いも断りません。

池田 トレッキングルートのお師匠さんもいて、急に連絡が来ますもんね。「誰も知らんルートを池田くん、あんたに教えておくけん」って言うから「わかりました」って、素直に山に登ります。

なんとも、豊かな日常です。

山は人のご縁を繋いでくれる、よりどころ

昨年には、山小屋の管理人の引退を受けて、その仕事も池田さんが引き継ぐことに。さらに山に入る日が増えました。

池田 大雨も多いでしょう、この頃は。登山道も結構、崩れよっとですよ。それで、仲間たち十何人かで集まって土砂をよけてね、力仕事ですよ。そういうこともしていたらその道を通っていく人たちがですよ、随分と歩きやすくなりました、あなたが池田さんでしょう、ありがとうと声をかけてくれますもんね。

山の上で知り合った女性に人生の伴侶を紹介できたこともありました。

池田 隣の県から来た女性をガイドしているとね、「池田さん私ね、彼氏おらんとですよ」って言われたから、山を降りてすぐそこの、レストランの友だちを紹介しましたもんね。それが今は結婚して子どももいて。太良町の人口も増えました(笑)。一緒に山を登ってキツイ道中にもいろんな話をして同じ景色を見たら下山した後も最高ですもんね。自分はお酒も大好きですからこの前も登山道を修繕した後に、みんなで牡蠣小屋に行って盛り上がってね。山に入ったらみんな友だち。そういう日常が最高なんですよ。

山に来る人たちを繋ぐため、常に山にいる池田さん。人のため、山のためを優先するあまり、本業に影響がないのか、家族の反対はないのか。気になるところです。

池田 登り始めの最初は、一番のネックは奥さんでしたもんね。もう、なんで山に登りたいのかわけがわからん。何で山のためにそこまであなたがするのかって。でも不思議なもので、山に登るたびに必ずいいことがあるんですよ。山で知り合った仲間から、新しい仕事、お客様をずーっと紹介していただいてますしね。山に登り始める前よりもここ最近は特に忙しいくらいになりまして。うちの奥さんは現実的なところがありますから、仕事にいい影響があるならということで、いつからか、すごく協力的になってくれました(笑)。

山に入れば、みんな友だち。多良岳が繋いでくれたご縁が、池田さんの人生を大きく動かしました。

池田 私が山のお世話をしてるとか、山に来た人のお世話をしてるとか、そういう風に言っていただくこともありますが、全然そんなことありません。どちらかというと、自分が多良岳のお世話になってます。多良岳とはね、自分にとって、自分らしく生きていくよりどころです。多良岳がなければ今の自分はないけん、ご縁をいただいている、すべてをいただいている。本当にそう感じていて、今こうしている間も早くまた多良岳に登りたくてウズウズしてるんです(笑)。地上にいると、いっつも山の神様から、また早くおいでよ、友だちを連れておいでよ。って呼ばれている気がします。親戚の叔父さんなんかも多良岳が大好きで、山の下で会うことよりも、山の中で会う回数の方がずっと多いですもんね。みんな同じ気持ちだと思います。私も多良岳のような、大きな人になりたいです。

好きになったら一生。山が私たちのライフワークになる

ただ、池田さんの心配ごとがひとつ。山のお師匠さんたちは70~80代と高齢です。貴重な知識や知恵が途切れてしまわないように、誰かが繋いでいかなければいけません。その役割は今、池田さんに託されていることを自覚しています。

池田 大昔に多良岳に人が入るようになって、それから1,000年以上、きっと誰かが、バトンを繋いできたと思うんです。そのバトンが今「池田くんあんたに任せるけん」と渡されているんですね。プレッシャーもあるんですけど自分がやらないと、多良岳はいつか廃れてしまうなという気持ちはあって。郷土愛というか使命感というか、そういうものも感じながらいろいろやってます。

「太良町勝手に親善大使」を名乗って(笑)、山と地域を繋ぐ活動にも着手しました。活動のひとつが、ガイドの教科書づくり。多良岳に来た人が太良のまちなかでも楽しんでくれるような仕組みをつくろうとしています。池田さんの熱心な活動に感化され、ガイドを手伝う若者も5人ほどあらわれました。

池田 仲間からは「あんたそこまでしようとやけん一人5,000円くらいとったらどうね。それでも安かよ!」なんて言われます。たしかに山の魅力に興味を持つ人も増えてきているし、キャンプも流行っている。これから山を仕事にする、山で仕事をしたいという人には、私のようにいろいろな可能性が広がっていくと思います。

山をただ「登る場所」としてだけでなく、人と人が繋がる場所、地域と繋がる起点と考えると大いに仕事の可能性は無限大。大好きな山登りが、一生の仕事になる。池田さんは、その可能性を私たちに見せてくれました。

池田 ただ、いろいろ話してきましたけど結局、山はこんなに楽しいとやけん、みんなもっと来ればいいのに。それだけなんです私は。好きになったら一生、山はずーっと楽しめます。夢としては、奥さんと一緒に多良岳に登りたい。そう思ってます。まだ一回も登ってくれてないんです…。仲間がしょっちゅう、奥さんとの山登りの話をしてるからうらやましくて。私もいつか、いや近いうちに夫婦で、多良岳に登りたいですね。

池田さんと話しているとまだ登ったこともない多良岳のことが急に身近に感じます。自分もいつ登りに行こうかと楽しみが増えました。
さて、佐賀には多良岳の他にも登山初心者にも上りやすい標高1000m以下の個性的な山がたくさんあります。次の記事は、そんな佐賀の山を登るお仕事の募集の話です。登るを仕事にする「低山トレッキングガイド見習い」とは一体どんなお仕事なのでしょうか?

取材・文:いわたてただすけ

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