PROJECT08 市民活動と人

誰かのために、地域のために、 必要なことを続けることが社会を変える

特定非営利活動法人
さが市民活動サポートセンター 理事長
公益財団法人佐賀未来創造基金 代表理事
山田健一郎(やまだ けんいちろう)さん

取材・文 門脇恵

PROJECT 8

社会起業や企業の社会的責任(CSR)、SDGsなどといった概念が世の中には徐々に浸透しつつあります。一方で、地域や社会の課題解決を本業としている人は、まだまだ少ないのが現状です。山田健一郎さん(以下、山田さん)はそんな誰かのため、地域のための事業である市民活動を実践し支援することを、本業として奔走するトップランナーです。

山田さんはさまざまな団体の代表や役員、構成員を担っています。子どもの社会的孤立、災害支援、空き家問題などに取り組む事業体を支援することで地域課題を解決する中間支援団体である、特定非営利活動法人さが市民活動サポートセンター(以下、さがサポ)の理事長。同じく地域の課題に取り組む事業体への資金面での支援と、地域の資源循環と共助社会づくりを主な事業とする公益財団法人佐賀未来創造基金(以下、佐賀未来創造基金)の代表理事。近年は、第11回「ファンドレイジング大賞」や「ふるさとづくり大賞(総務大臣表彰)」、「地域再生大賞(共同通信社)」を受賞するなど、全国的な表彰が続いています。

事務所には、たくさんのトロフィーや表彰状が並んでいます。

誰かのため、地域のため、と言葉にするのは簡単ですが、それを実践し仕事にすることは、とても難しいことです。誰かのうつむいた顔を、そっと笑顔に変えていくために日々奔走する山田さんから、社会的意義のある仕事を選ぶことになったきっかけや市民活動のこと、これからの課題、未来への展望を伺いました。

人と人をつなげ、支える中間支援という仕事

中間支援団体という言葉にピンと来る人はまだ少ないのではないでしょうか。。たとえば、こどもの社会的孤立を防ぐ取り組みとして話題になっているこども食堂。こども食堂を運営するのには、こどもが安心でき、食事が提供できる場所が必要です。料理をする人も、食材を買う資金も、こども食堂を周知する人も、こどもたちを迎え入れ、相手をする人も必要です。1つの取り組みをするためにはたくさんの人と物とお金が必要です。それらすべてを、資金源を持たない志を持った一部の人だけで支えることは大変なことです。

そこで、その中の一部の部分を無理なく提供できる人同士や団体をつなげることや、サポートしていくのが、中間支援団体です。場所だったら提供できる人もいれば、食材だったら提供できる人もいる。そして、それをつなぐ。誰かのため、地域のためになにかしたいという人や事業体(任意団体、法人問わず)を様々な面からサポートし、人と人をつなげていくのが中間支援団体の役割です。

まちなかオフィスTOJIN館はさがサポが運営する拠点の1つです。

山田さん(以下、山田) さがサポは、佐賀市の中心市街地に事務所を構えていて、地域の課題に取り組む人と人をつなぐ場づくり、コミュニティづくり、顔の見える街づくりをしています。

今までの社会は、行政や民間サービスに依存する形で成り立っていることが多かったと思います。でも、それだけでは解決できない多くの課題が地域や社会には実はたくさんあります。福祉のこと、こどものこと、環境だったり、災害だったり……。そこに気づいた人が自分の力で行動を起こし、活動することを市民活動と言います。そして、同じような想いをもつ者同士が集まってできたグループを任意団体、法人にかかわらず市民団体と言います。

さがサポは、そんな市民団体のみなさんが、困ったときの相談窓口を担っています。活動を広く伝えたいが方法がわからない、連携・協力しあいたくてもどうすればよいかわからない、もっといろんな情報がほしい。そういった声をひろって人と人とをつなげていくことで、コミュニティをつくり、課題解決につなげます。さがサポは、自分で立ち上げた団体ではないのですが、その想いを引き継いで運営しています。

本当に日々オールジャンルの相談が来ますよ(笑)。人の相談に応えるって難しいですね。毎回ちゃんと応えられているのか……。でも、現場で活動するみなさんを尊敬しているし、ありがたいと心から思っているので、毎回宿題をいただいて、できる限りのことをやっています。その発展で佐賀未来創造基金のような財団が生まれたり、一般社団法人さが・こども未来応援プロジェクト実行委員会が生まれたりしています。

山田さんは、暮らしのことを考えて実践しているのが市民活動だと話してくださいました。仕事であり、仕事でもない。暮らしを良くしていくために、意識せずに自然としていることだといいます。誰かのため、地域のために日々たくさんの人の話に耳を傾け寄りそう山田さん。そんな山田さんのところに自然とたくさんの人が集まってくるようです。

すれ違うたびに声を掛けられる山田さん。どこにいても頼られることばかりのようです。

何もできない無力感から、何かできるのではないかという熱意へ

山田さんが市民活動や中間支援の世界に入ったきっかけはなんだったのでしょうか? 熱量の高い活動を支える想いを伺いました。

山田 実は大学卒業後はプロサッカー選手を目指していたんですよ(笑)。でも、夢破れて、自暴自棄になって、駅前でホームレスをしていました。その時に、とあるNPOに助けていただいて、サッカーをこどもたちに教えるという慈善事業をしながら生活支援を受け、共同生活を送るということを経験しました。今思い返すと、これがNPOとの最初の出会いです。

当時は、佐賀で生まれ育って、東京に憧れて出て行ったのもあって、そんな簡単には戻らないぞ、と思っていました。でも結局、佐賀は居心地が良いと気がつき、佐賀に帰ってきました。帰ってきてからは3年間、中学高校の保健体育の先生をしていました。

先生として母校に帰ったときに、元気に学生生活を送っている子がいる一方で、保健室までしか行けなくて泣いている子や不登校の子に出会いました。今考えると、自分が学生時代にもそういった同級生がいたと思うのですが、その当時は気づくことができなかった。保健室までしか行けなかったとしても、不登校だったとしても、社会の一員であることに変わりないし、誰もが笑顔でいられるような暮らしや社会が必要だと思っています。

オフィスで仕事をする山田さん。電話にデスクワークに、会議に、繁忙を極める日々ですが、いつも笑顔がさわやかです。

先生として子どもたちと向き合ううちに、山田さんは複雑な思いを抱えていたそうです。

山田 先生という立場で、保健室で泣いている子たちと向き合ったときに、なにひとつできることがなかったんです。とにかく悔しくて。なにもできないことへの無力感ですよね。それで、学校の外に目を向け、フリースクールや不登校の子どもたちを支援するNPOと出会いました。

NPOで活動するみなさんは、手弁当でこどもたちのためにと、よいことをたくさんしていて、佐賀にもそういう活動をしている人がいるのだと知りました。それから、自分自身もフリースクールやNPOの手伝いをしていくうちに、実際にフリースクールやNPOを運営する人も必要だけど、それを支援する中間支援というものも必要なのだと学びました。

現場のことを精一杯やっている人を支えることで、もっと社会がよくなるんじゃないかって。よいことをするのにも、やっぱり人もお金も、物もノウハウも必要ですよね。まだ若かったこともあって、学校の先生をやめてこの世界に入りました。当時こういった中間支援の仕事で稼げるのはせいぜい月4万円とかだったので、プールの監視員とか他のアルバイトをかけもちしながら生計を立てていました。

ふり返ると若いころは本当にひどい生活をしていましたね(笑)。点々としながら、人に拾われて生きてきました。あの時、駅で拾われてなければ、不登校の子どもたちに出会っていなければ、こういう人生にはなっていなかったかもしれないですね。流れ流れて必要とされて、今こういう仕事をしているんだと思っています。この仕事でごはんを食べていくということは、なかなか難しいことなので、本当にありがたいことです。

無力感があるからこそ、なにかできることがあるのではないかと山田さんは日々奔走しています。忙しいはずの毎日でも、誰と話すときも笑顔の山田さん。その姿を見て、またひとり、ふたりとできることを持ち寄る人の輪が広がっています。

善意が搾取にならないように。市民活動を、誇りをもってできる仕事にしたい

市民活動や中間支援にはいろいろな関わりかたがあります。余暇をつかったボランティアだったり、企業の事業の一部としてだったり……。どの関わり方も大切ですが、長く続けていくためには、やはり本業としてこの仕事に取り組むことも必要です。

山田 市民活動や中間支援は、興味をもってくれる人やインターンで来てくれる人は多いけれど、仕事としては、なかなか選んでもらえていないと思っています。とくに10年くらい前は仕事としてそもそも成り立っていなかった。これだけでは食べていけなかったり、ボランタリティー精神を求められることが多く、暮らしと仕事の境目がなかったり。結婚を機にこの業界を離れる人たちもいっぱい見てきました。

それが悪いというわけではなくて。やりがいがあるから若いうちは続けていけるけど、いざ、家庭をもったり、将来のことを考えたり、というときに善意の搾取みたいになったらいけないと思っています。そういう意味ではきちんと仕組みを整えて次の世代に自分の役割を渡していきたいと思っています。

家族のためにも、自分のためにも、地域のためにも、山田さんは日々邁進します。

いろんな選択肢があるなかで、20年この仕事を選んでやり続けているっていうことは奇跡だと山田さんは話します。つまりそれは、やらせていただいているということで、とても有難いこと。だからこそ、山田さんは日々奔走しています。

山田 地域や社会の課題ってそんなにすぐに解決しないんですよね。なにかものができましたとか、すぐにこれが変わりましたとか、そういうことではない。我々は、目に見えないことをしていて、10年、20年関わらせていただいてやってきているなかでやっと少し変わったりする程度。でも、やっぱりずっと見ていると変化がある。ある意味では、そういったパブリック的なことをやっているということに誇りもあるし、やりがいもあります。

この業界は今まさにターニングポイントの1つを迎えています。すごくたくさん稼げなくてもいいけど、きちんと生活ができるくらいの仕事の選択肢として、これからみんなでどう持続可能にしていくかというタイミングです。行政だからできること、民間だからできること。それぞれの役割がある中で、自分たちがやれることにプライドを持って価値づけをしていくことが我々にも必要です。

そのうえで、お互いにできることを認め合い、持ち寄りながら、全体として、すこしでもできることを増やしていけたらいいですよね。礎になれるくらいがんばって、次の人たちが我々を踏み台にして、次こそ本当にこの仕事が良い仕事だって、みんながやりたいって思える仕事になったら。そんな風に我々の代でできたら一番良い。それができるくらい踏ん張っていきたいです。

この業界の人は、みなさん、自分が必要だと思うことを信じてやり続けています。そういうことをしている人たちが市民活動の人だと思っています。そんなみなさんをリスペクトしながら応援できる部分をしっかり応援して、社会が変っていく。そこまでしっかり見届けたいですね。

みんなが理想の未来を思い描き、それを叶えようと、それぞれの立ち位置で活動をする。暮らしの中に絶対解はないけれど、その積み重ねによって、今よりすこしよい社会が生まれていくのではないでしょうか。

さて、次の記事は、そんな市民活動や中間支援を仕事とする「さがむすび隊」のお話です。「さがむすび隊」とは、一体どんなお仕事なのでしょうか?

取材・文 門脇恵

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