PROJECT09 市民活動と人

人の幸せを自分の幸せと 感じられる社会をつくる

認定NPO法人地球市民の会
事務局長 岩永 清邦(いわなが きよくに)さん
     山路 健造(やまじ けんぞう)さん

取材・文 門脇恵

PROJECT 9

市民活動と一口に言っても、さまざまな活動があります。地域の草むしり、災害支援、環境保護、多文化共生、こどもの居場所づくりや介護・介助が必要な方へのサポートなど……。つまり、社会のお困りごとの種をなくしていくことで、誰もが幸せに過ごせる社会に近づけていく活動が、市民活動です。

認定NPO法人地球市民の会(以下、地球市民の会)は、全国でも老舗の市民活動団体です。1983年に古賀武夫さんが設立しました。「世界中のすべてのものの幸せを自分の幸せと感じられる社会をつくりたい」という願いのもとに、設立から38年かわらずに、世界、そして自分たちの地域をよくしていこうと活動しています。

今回は、事務局長を務める岩永清邦さんと山路健造さんに市民活動の面白さや魅力についてお話を伺いました。実はおふたりとも青年海外協力隊経験者。海外での経験をもとに、佐賀で何を想い、どんな活動をしているのでしょうか? 岩永さんと山路さんのお話を聞くと佐賀の未来が今よりすこし、わくわく輝いて見えます。

地球市民の会の事務所。向かいには空手道場もあります。

青年海外協力隊を経て社会の課題に出会う

最近では、社会貢献活動や社会起業、CSR(企業が担う社会的責任)、SDGs(持続可能な開発目標)といった言葉をよく耳にするようになりました。利益の追求だけでなく、誰もが幸せに過ごせる社会に近づけていくことに、多くの人が価値を感じはじめているのではないでしょうか。地球市民の会で、仕事として社会課題に取り組む岩永さんと山路さん。まずはおふたりがどんな経緯で市民活動に関わるようになったのかを伺いました。

岩永さん(以下、岩永) 実は、若いころ、とにかく佐賀を出たかったんです(笑)。僕は佐賀で生まれ、大学で福岡に出て、そのまま青年海外協力隊として中国に行きました。田舎特有の都会に対する根拠のないあこがれがあって、「どうせ出るなら大きく海外だ! 高度成長期のタイミングに乗って、中国でビジネスをやろう! もう佐賀には帰ってこない!」と思っていたんです(笑)。

中国では青年海外協力隊として、小学生のころからやっていた野球を、こどもたちに教える仕事をしていました。そのなかで、価値観がガラッと変わったんです。中国の人っていうとちょっとお金にがめついイメージだったのですが、実は単純にお金が欲しいわけではないと知りました。中国のこどもたちはみんな自分の地域が大好きで、地域や家族のことを一身に背負っています。貧しいなりに地域や家族のために何かをやっていこうという必死さが、彼らの足元を支えている。それに対して、「自分はどうだろう? 出ていくことばかり考え、地域のためになにかしたことがあったか? そもそも佐賀のことをちゃんと知らないんじゃないのか?」急に自分の足元がフワフワと浮いているような気持ちになりました。

それで、もう帰るつもりはなかった佐賀に帰って地域を見直そうと思ったことが、地球市民の会で市民活動を仕事にするきっかけとなりました。今は佐賀に誇りをもっています。佐賀から世界に向けて社会を良くしていくことを発信していきたいですね。

こどもの頃から野球が大好きだったという岩永さん。佐賀のCSOを牽引する存在です。

山路さん(以下、山路) 僕は大分の出身で大学まで大分にいました。こどもの頃から英語が好きで、語学と国際交流に興味がありました。簡単なあいさつ程度ですが、5言語を学んだ経験があります 。「海外で仕事がしてみたい」と思いながらも、卒業後は地元・九州の新聞社に就職しました。新聞記者としての仕事も本当に楽しかったのですが、29歳のときにふと立ち止まり「これからどうしよう、海外に行きたいと思っていたのに……」と悩みました。

そんな時、佐賀に転勤になりました。そこで、取材先のひとつとして、地球の市民の会に出会ったんです。地球市民の会の国際協力や国際支援、国内での地域や在住外国人への支援といった活動に感銘を受け、「自分もプレイヤーとして社会貢献、国際協力に携わりたい」と、青年海外協力隊に行くことを決意しました。実は新聞社を退職して、青年海外協力隊としてフィリピンに行くまでの間にも、インターンとして地球市民の会で少し仕事もさせてもらっていました。

新聞記者からCSO業界に飛び込んだ山路さん。趣味はキャンプだそうです。

山路 フィリピンでは、有機農業の普及をするために村でワークショップをしたり、木酢液のプラントを造ったりということをしていました。大変なこともたくさんあって何度も帰りたいと思いました(笑)。でも、村に対して愛着が生まれていたので、なにかひとつでも村のためにできることがあったらと思い、最後までがんばりました。

今思うと、記者時代の最初の上司から「まずは地域を好きになりなさい」と教わったことが、地域への原動力につながっているのかもしれません。この言葉を今も大切にしていて、関わる地域や人をぐっと好きになるようになりました。そして、フィリピンから帰ってきてからも国際協力や地域と関わる仕事を続けたくて、ご縁のあった地球市民の会で働かせてもらうことにしました。

山路さんのフィリピン時代の思い出。たくさんの人に囲まれて楽しそうです。

海外での経験を通して佐賀に戻り、社会課題に向き合うことを仕事にした岩永さんと山路さん。おふたりが働く地球市民の会とはどんな団体なのでしょうか?

困難に立ち向かい、幸せな社会をつくれる国際人に

「地球市民としての意識を育てることを大切にし、世界中のすべてのものの幸せを自分の幸せと感じられる社会をつくりたい」(地球市民の会公式サイトより引用)

この願いを軸に地球市民の会では、国際協力・国際交流・国内事業・地球共感教育という4つの事業を行っています。

岩永 地球市民の会は、まだ市民活動という言葉がない時代に、創設者である古賀武夫が設立した団体です。閉塞感がある佐賀を変えたい。佐賀から国際人を育てたい。ただ単に英語ができるだけでなく、困難があったときに解決できる人間を佐賀から育てたい。古賀はそう思っていたそうです。

団体名にも入っている地球市民とは、困難に立ち向かい、世界中すべての人の幸せを自分の幸せと感じられる社会をつくる人のことだと考えています。そして、そんな人を育て、増やしていくことが地球市民の会のミッションです。

地球市民の会の中にある英語教室と学童の部屋。

山路 この考えのもとに、4つの組織が独立しつつ連携しながら運営されています。国際人になるからにはまずは英語ができなければということで英語道場。海外に行くのに身体が弱くちゃいかん、ということで空手道場(笑)。そして、しなやかなこどもを育てる学童の運営。最後に、国際協力や国際交流などの事業を展開する地球市民の会。

一見つながりがないような事業も、すべてが困難に立ち向かい、世界中のすべての人の幸せを自分の幸せと感じられる社会をつくる、という想いにつながっています。

この想いのもとに、地球市民の会には、20~40代を中心にたくさんの仲間たちが集まっています。おふたりの他にも、日本の事務所では7名の女性スタッフが働いているそうです。さらに、海外事務所のあるミャンマーには、23名の現地常駐のスタッフがいるそうです。皆さん和気あいあいとした雰囲気です。

スタッフと話す岩永さん。女性が多く声のかけやすい環境が魅力的。

災害情報の母語カバー率を100%に!

佐賀本部事務所では、こどもの居場所の支援、災害支援、SDGsの推進、在住外国人のサポートなどいろいろな事業を進めています。最近特に力を入れている事業についてお話を聞きました。

山路 いろいろある事業の中でも、今特に力を入れているのは、在住外国人に向けて災害情報を母語で届ける事業です。2019年の佐賀豪雨のときに、ひっきりなしに警報が出ているのに、日本語がわからないせいで佐賀在住のタイ人のみなさんが困っていた。それで、翻訳ソフトを使ってタイ語で災害情報を流したんです。

みなさんも想像がつくとは思いますが、翻訳ソフトにはまだ限界があって、かえって現場を混乱させてしまいました。このことをきっかけに、みんなで正確な情報を届けられる体制をつくりました。翻訳チームはLINEでつながっていて、いつでも迅速に動ける体制になっています。

災害情報が出たら、まず翻訳チームに情報を投げ、さらに翻訳した情報をタイ語が母語の人にダブルチェックをしてもらった上で、情報を拡散する。現在は、タイ語だけでなく、ミャンマーやスリランカの言語でも対応できるような体制ができあがっているそうです。

山路 佐賀には、SPF(佐賀災害支援プラットフォーム)という災害対策の組織が佐賀豪雨の前年の2018年に立ち上がりました。そのチームでもベトナム語とタガログ語をカバーしており、私も情報発信に携わっています。行政では災害時に8言語をカバーしており、そういった官民の努力のかいがあって、今、佐賀在住の外国人に向けた母語での災害情報サポートの割合はカバー率95%まで伸びました。この母語カバー率を100%にすることが今の目標です。

僕自身もフィリピンで仕事をしていたときに、しょっちゅう台風がやってきて避難を迫られました。そして当然のように、いつも現地のタガログ語の災害情報が理解できずに戸惑うという経験をしています。佐賀で暮らす外国人は約7,000人。これから先も、どんどん在住外国人は増えていきます。そう思うと母語で災害情報を受け取ることは、とても重要な社会課題です。

初対面でも話しかけやすい気さくさが魅力の山路さん。みんなの頼れる存在です。

岩永 小さな事かもしれないけれど、こういった取り組みの先に、選んでもらえる佐賀が育まれたら嬉しいと思っています。日本にもいろいろな場所があるけれど、日本に来たいという外国人の方に「佐賀は安心して暮らせるからいいよね。住むなら佐賀が良い」そう言ってもらえたら。そして、佐賀から九州全域、日本全国にこういった取り組みを連携しながら広げていけたら、笑顔で過ごせる人が増えるのではないかと思っています。

岩永さんは4人のこどものお父さんでもあります。こどもたちとの時間が息抜きでもあるそうです。

岩永さんと山路さんの取り組みは、佐賀を、日本を、世界を、少しずつ幸せな社会に近づけているのではないでしょうか? 誰かのために困難を切り開くおふたりの笑顔は明るく輝いていました。

さて、次の記事は、おふたりのように佐賀で社会課題を解決する仕事に取り組むための「さがむすび隊」のお話です。「さがむすび隊」とは一体どんなお仕事なのでしょうか?

取材・文 門脇恵

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