vol.3 2023.3.16
「佐賀?佐賀ねえ…うん、まったくもって何も浮かばない。気持ちがいいほどに!」
先に言っておくと、移住前の佐賀に対するイメージは、白紙すら存在しない完全なる"無"だった。つまり、思いを馳せたことがない。教科書で繰り返し学習した吉野ヶ里遺跡や有田焼くらいは羅列したかったと、自分でも思う。社会科は得意だったのに。ちなみに、冒頭の一文は、もし私が佐賀に来る前に「佐賀といえば?」という架空の質問をされた時の回答である。実際にそんな質問をされたことは一度もない。
8年前、私は地域おこし協力隊になった。着任したのは、佐賀で最も福岡都心に近い町である基山町。2/3が丘陵地という地形はもとより、生活面でも佐賀らしさはあまり感じられない。福岡都心のベッドタウンとしての性質、地の利を活かした大手企業の工場群、物流拠点。隣接する鳥栖市とともに「佐賀というより福岡」と言われがちな口コミは正しく、佐賀中部および西部の「どこからどう見ても佐賀」勢とは、カラーが大きく異なっている。おっちゃんたちの訛りにこそ、佐賀を垣間見ることができるが、それも県全体で見れば易しい部類だ。控えめな佐賀、概ね福岡。地図で見たとおりの町だった。
基山町の人々は、とんでもなく人懐っこい。そして住んでいる地域への関心が高い。愛着もある。だから、まちづくりへの貢献度もすごい。協力隊着任時、私と同期の隊員が紹介された広報を見た方から、町で声をかけられた。「がんばってね、応援してるから」の次に聞こえてきたのは「一度、うちにおいで」。
(待て待て、ここはド田舎じゃないぞ。新興住宅が建ち並ぶ、ある程度成熟した都市型の町のはず。なのに、ちっとも荒んでない。朗らかにもほどがある。まして、20代のフレッシュかつ手を差し伸べたくなる隊員じゃない。30代の生意気な都落ち野郎二人を、いきなり家に招くとは…解せん。でも嬉しい。でも不思議だ)
善良さの塊に、この都会風を吹かせがちの隊員は、いつも甘えっぱなし。追い立てられることもなく、のらりくらりと過ごす日々。腹が減っては菓子屋のまんじゅう(売り物)をご馳走になった。ある職員からは、教えてもらうことよりもおごってもらったことのほうが遥かに多い。自動預払機扱いして本当にごめんなさい。いつも寛容で優しく接していただいたこと、心より感謝しております。かしこ。
さて、どう見てもハズレ人材がやってきてしまったわけだが、光芒はあった。一つは、この隊員、志だけは高みに向けられていたこと。私欲が強い、利己的とも言い表せられよう。自らの願望を達成するために、リスクを負う心づもりだけは備えていたのである。『夢』などという美しい言葉は似つかわしくない。他人や地域のことを考えるのは、自分自身を軌道に乗せてからだと決め込んでいた。優しさは余裕がないと持続しない。結果、協力隊2年目には在宅ワーク支援で起業、さらに任期後すぐにゲストハウスを開業させることになる。目標は後者だったが、そのために縁をつないだ前者が役立った。私はこれを、二段階起業と呼んでいる。
もう一つは、責任感だけは強靭だったこと。地域に甘えた自分を自覚していて、それを許容した人たちへの恩は決して忘れない。よその敬虔な協力隊に比べると、密接に関わった住民はずっと少ないだろう。それでも、記憶から抜け落とさずにいられる数だけ、何があっても大事にできる数だけは、馴染みができた。そう言えば、収まりがいい。しかし、恩の返し方とは一体なんだろう。無論、菓子折りを持っていくことではない。受けた恩は自分への期待値であって、言うなれば投資だと考えてみてはどうか。期待に報いる、投資を還元する。自分らしいやり方で。馴染みの人々が暮らす町の笑顔を増やし、いつの日も楽しく生きてほしい。私は、そう願うようになった。
もっとも、恩人たち本人からすれば、特別に何かした覚えもないだろうし、取るに足りないこととは思う。よって、この構図は、私が勝手に恩を感じ、がむしゃらに返したがっているだけとも言える。いいのよ、それでも。誰かを思いやるときに「今からあなたのことを思いやりますよ~!」なんて言いっこないのと同じ。
かくして、3年間の任期を終え、この隊員は定住に至る。基山町をはじめ県民から善良さを分けてもらい、少しはまともな人間になれた心地だ。振り返って思うのは「協力隊だったからなんとかなった」ということ。はじめましての肩書でいちばん警戒されないのは、実は協力隊なんじゃないか。民間でも生粋の役人でもなく、身にまとう空気感のプレーンさ、威圧感の乏しさは独特だ(例外あり)。相手に警戒されなければ、自分も警戒する必要がない。すると自然体で話せるから、仲良くなりやすい。稀に、協力隊じゃなく地方移住して起業して地域を盛り上げている人を見るが、私からすれば尋常じゃない。ドM気質にもほどがある。私は協力隊でよかったとしみじみ思う。協力隊だから話せた人たちが、大勢いる。
だが、実を言うと私は、この人付き合いというものが心底苦手だ。
つづく