vol.-4 2023.3.29

SCN事務局長のエッセイ『佐賀マイラブ』/後編

新たな人付き合い、そして佐賀付き合いが始まった8年前。地域おこし協力隊制度の何たるかをさておいて、私利私欲を果たすため揚々と佐賀の端っこにやってきた一人の男。斜に構えた態度の悪さは自他ともに認めるところであった。

「付き合いとはなんぞや。コミュニケーション?は?何それ美味しいもの?」

私は、基本的に初めて会う相手に対する印象を『嫌い』からスタートすることにしていた。どうしてそんなひん曲がったことになったのかは覚えていない。恐らくは、思春期から青年期、人間社会と向き合ううちに身に付けた処世術の一つだろう。初対面の段階で好きか嫌いかなんて意識したことすらない、という人も多いはず。そこをあえて『嫌い』だと位置づけ、自分のスタンスとして、あろうことか周囲に伝えてしまうなんて残念すぎる。ああ、ものすごく好感度の低いことを書いているのは承知しているさ。

某アニメの劇中。某汎用人型決戦兵器が対峙した敵のなかに『最強の拒絶タイプ』と呼ばれる天使がいるが、あの自分以外を寄せつけない圧倒的な強さとその称号には憧れたものだ。

『嫌い』から入ると、裏切られることがない。話をしても、そのままを維持するか『好き』にしかならないから。初対面というのは本来、互いにフラットな状態。言うなれば、ただ目の前で呼吸を続け生きている人。しかし、心を持った私たちは第一印象を抱く。これが本当に厄介で、瞬時にバイアスなる呪いをかけてしまう。容姿端麗で清潔感のある身なり、柔らかな口調に明瞭かつ適切な言葉選び。そんな人をうっかり好きになってしまったら最後、ろくなことにならない。世界には、好意に化けた悪意が満ちている。偏見?経験だ。『嫌い』から徐々に好意と信頼を寄せていく形式は、未熟な先入観を打ち払い、多くのシーンで自分の身を守ってきた。

さて、ツッコミを待つことなく、恋愛は話が別です。折り畳みの街乗り自転車で颯爽と目の前に現れたあの時から、私は妻の虜です。

私の対人バリアは強かった。今もその片鱗が見られるものの、熟成の時を経てほろほろと崩れがちだ。いつまでも稚拙な拒絶を中和したのは、基山町ならびに佐賀で出会った人たちの愛情に他ならない。結婚を機に広がった親戚関係、旧友のありがたみも一因だろう。どうしてそんな笑顔を向けてくれるのかと不思議でならない。あなたたちに比べると私は、何もできない、何も知らない、いつまでも自分のなかでケリを付けられずにいる子どもだったのに。

とりわけ、3年間の地域おこし協力隊という仕事で関わった行政関係者への恩は忘れられない。町や制度への意見を相当喚き散らしたはずなのに、ずっと聞く耳を持ち続けてくれ、コンプラぎりぎりの企画を実行したときも一緒に楽しんでくれた。よくもまあ、耐え難きを耐えていただいたもので。佐賀の人たちは、それが「仕事だから」やっているわけじゃないと、どこか思わせる節がある。『控えめな佐賀、概ね福岡』と呼べる基山町にいながら、私が佐賀である意識を一部獲得できたのは、町と県職員の方のおかげ。今の私にとっては『基山も鳥栖も、しっかり佐賀』だ。

地域に目をやれば、佐賀には協力隊以外のプレーヤーが多い。また、主だって動く人を支え、応援する人も多い。ある人は、私を指して「彼はがんばっている」ということを、多方面で言ってくれていた。この口コミは、思いもよらないところへ届く。自分の知らないところで、協力者を増やすことにつながる。協力者とまでいかなくても、批判的に見られたり阻害されたりすることはなくなるから、効果は絶大だ。他人の信頼によって生かされているような感覚。縁を結ぶ円環が地域中に張り巡らされていて、間隔が狭い。それが佐賀。車と所有者がリンクしすぎることも、集落に足を踏み入れた人をじろじろ見すぎることも、地域のセキュリティに他ならない。

そう、私は長い間、いろんな人に守られていたのである。

思い返すと、子どもの頃は親や姉と友人たちから、勤め先では同僚や上司から、ずっと手厚い保護を受け続けてきた。ゆえの生意気、傲慢というのは否めない。その昔「橋本さんにとって協力隊とは、何ですか?」と聞かれたとき、「仕事付きの生活保護です」と答えたことがある。我ながら言い得て妙だと思う。無論、自らの活動に満足できず、自虐的に皮肉ったものだが、守られているという点についてはよく当たっている。協力隊であることは、仕事をするうえでも移住するうえでも非常にセーフティーだと言える。協力隊とは、自分のことを守ってくれる人がたくさんいる仕事だ。

人付き合いが苦手な時点で、協力隊には向かない。田舎暮らしにも向かない。私は、回避できる飲み会をすべてシャットアウトしてきた。名刺すら率先して配った覚えがない。つくづくダメな事例にも関わらず、引き続き佐賀にいることができている。それは、地域で自分が受けている恩恵に気付いたから。これだと思うタイミングは特になくて、緩やかに、幾度かに分けて気付いてきたものだ。起業した日、結婚した日。あるいは、子どもが生まれた日。新婚旅行からの帰りに基山駅へ降り立った時、迎えに来てくれたのは地域の人だった。あの「おかえり」は忘れられない。

佐賀には、私と家族を理由なしに守ってくれた人たちがいる。その人たちにしてもらったことを、もし別の誰かが求めているなら、力になりたい。そう思うと初対面で『嫌い』にならないようになった。裏切りに怯えない暮らしは、今のところ平穏だ。それでも、徒党を組む行為は苦手のまま。私にとって、仲間づくりは永遠のテーマかもしれない。そんな私がチームで仕事をしている唯一の組織、佐賀県地域おこし協力隊ネットワーク(SCN)。協力隊の同期であるチームメイトからは常々「丸くなったねえ」と言われる。彼らは理解者であり、今なお私を守ってくれている存在。彼らとその家族を守れるように、私も成長したいと願ってやまない。

ありのままで居続けたら、在り方がちょっとだけ変わった。そんなお話でした。

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