山菜は里山のめぐみの1つです。このプロジェクトは、「料理人見習い」として先人たちから里山の暮らしの知恵をおいしく学び、その情報をおいしく伝えることで佐賀の里山のファンを増やすことを目指します。
着任したのは、食べることが大好きだという日髙涼子さん(以下、日髙さん)。日高さんは、某人気コーヒーショップで長年接客や店舗運営をしてきたそうです。前職も大好きだったという日髙さんは、転職するか本当に迷ったと言います。どんな思いで佐賀への移住を決意したのでしょうか。今までの仕事や暮らしのこと、このプロジェクトへの思いを伺いました。
滋賀県で生まれ育った日高さんは、食べることが大好き。この仕事を選んだのも普段はあまり触れることができない山菜という魅力的な食べ物に惹かれたのがきっかけだそうです。日髙さんの食のルーツはどこにあるのでしょうか。
日髙さん(以下、日髙)
食べることが本当に大好きで、実家もエンゲル係数が高い家だったんです。たとえば、DVDプレイヤーとか新しい家電は家に全然ないのに、牡蠣を一斗缶で買ってくるとか(笑)。親も食べることが好きだったので、私も自然と食べることが好きになりました。
大学時代は食品加工学や食品栄養学を学び、前職ではコーヒーショップに勤めていました。どちらもすこしでも食べることに関わりたくて選びました。食に関わることがいろんな選択を決めています。
日髙
実は恥ずかしながら、あまり料理が得意ではないです…。でも、おいしいものが好きなので、こだわりがあり、餃子にはウーシャンフェンというスパイスミックスを入れてつくります。スパイスとかエスニックなものが好きで、これは母に習った料理で、 こどもの頃に少しだけシンガポールに住んでいたのですが、その頃に母が現地で習ったそうです。母の料理の中ではシンガポール料理が一番好きです。
日高さんは、すぐに転職をしようと思っていたわけではなかったそうです。どんなきっかけで東京から佐賀への移住とともに、この仕事に飛び込む決意をしたのでしょうか。
日髙
前職は今振り返ると、まだまだやり残したこともあったんじゃないかと思うくらい充実していました。仲間と一緒にどうやってお店を盛り上げるかや、お客さんと向き合うかを考えることは本当に楽しく、やりがいがありました。
転職を考え始めたきっかけは、地方への全国転勤を楽しみにしていたのに、気が付いたら東京での勤務が8年も続いたことや、コロナをきっかけに大好きだった旅行に行けなくなったことがあります。
日髙
そうは言っても、店舗勤務だけでなく、本社勤務も経験させていただいたり、東京には東京の面白さもたくさんあり、どの求人を見ても転職のメリットを感じることができませんでした。でも、このプロジェクトの募集を見たときに純粋に「楽しそう!やってみたい!」と思ったんです。次の仕事を選ぶなら、自分が心から「楽しそう!やってみたい!」と思える仕事を選ぶというのがとても大切なことなのではないかとその時に思いました。
山菜という普段触れることができないものを通して、料理や食を深めていくことをしたいです。この仕事を通して山菜の面白さや楽しさ、おいしさを広めたり伝えたりできたら嬉しいですね。
佐賀ではいろんなことに挑戦してみたいという日高さん。料理はもちろん、器の金継ぎや草木染、カヤックもしてみたいそうです。佐賀での暮らしに夢が広がります。
日髙 コロナのこともあり、なかなか外に出られない日々が続いていました。佐賀では今までできなかったことにいろいろチャレンジしてみたいです。誰かと話したり、料理を習ったりも楽しみですし、器も好きなので、有田の陶器市も楽しみです。アンティークや古いものも好きですし、カヤックとかアウトドアも気になります(笑)。
日髙
私の理想は、普段の仕事と暮らしがリンクしながら楽しめているような状態です。この3年間を足掛かりに、そんな仕事と暮らしのつながりを掴んでいきたいです。
この仕事は1人ではできない仕事だと思っています。自分1人だけですべてのことをどうこうできるわけではないです。なので、周りにいる人に声をかけながら、その中に自分の想いも乗せて、すこしでも盛り上げていけたらと思っています。
3年後は1人旅でも気兼ねなく泊まれる宿をつくるのも良いなぁと夢が広がる日髙さん。佐賀での暮らしと仕事に夢を膨らませつつ、足元もしっかり見ながら前向きに取り組む日髙さんはどんな3年間を過ごすのでしょうか。これからの活動が楽しみです。
取材・文 門脇恵