「多文化コミュニケーションプランナー」という新しい仕事が、佐賀県庁の国際課に生まれました。佐賀県に暮らすたくさんの外国人と日本人が、分け隔てなく “友だち” になれるお手伝いをする仕事です。
生まれ育った文化の異なる人たちが仲良くなるためには、一体どんなことを意識する必要があるのでしょうか。「多文化コミュニケーションプランナー」として、12月に着任した武田有里子さんにお話しを伺ってみました。
京都に生まれた武田さんは、学生時代に留学したことをきっかけに、海外旅行が好きになります。そもそも海外に興味を持っていた武田さんは、これまでどんなお仕事をされてきたのでしょうか。
武田さん(以下、武田)
私は佐賀に来る前にはドイツに住んでいました。そこで日本食レストランの副店長をやっていました。昔から外国の文化に興味があって、大学ではドイツ語学科を専攻していたんです。いろんな言語がある中でドイツ語を選んだのは「アルプスの少女ハイジ」みたいな生活をしてみたいと憧れていたからです。ハイジの舞台であるスイスもドイツ語だと知って、ドイツ語に興味を持ち勉強しました。
ドイツに行く前は、東京で旅行会社に勤めていました。法人向けの企画をオーダーメイドでつくっていて、日帰りのバス旅行から運動会の企画まで、幅広い営業を行っていましたね。
海外に興味があった武田さん。なぜドイツから佐賀に来たのでしょうか。そして、「多文化コミュニケーションプランナー」という仕事の中で、特に取り組みたいと思っていることはどんなことなのでしょうか。
武田
実は、ずっと佐賀に住みたかったんです! 私の祖父母が佐賀県伊万里市に暮らしていて、子どもの頃からよく佐賀に訪れていました。私は京都出身ですが、九州に来るとなぜか昔から「帰ってきた~!」という気持ちになっていたんですよね。だけど、訪れるたびに年々佐賀から元気がなくなっているのが見えてしまって、大きなショックを抱えていて…。
私は、おじいちゃんが大好きだった佐賀を後世につなげたい!と強く思っています。おじいちゃんは、作った野菜を近所に配ったり桜の植樹活動をしたり、いつも地域のことを思っている人でした。私も、そんなおじいちゃんの思いを大切にしたい。
だけど、いま佐賀の過疎は深刻な状況です。今後、日本人だけではなく外国人の力もますます必要になってくるので、お互いに気持ちよく暮らし、思いやり合えるような佐賀にしたい。佐賀と外国をしっかりと結びつけて、佐賀を元気にできるような仕事をしたい。「多文化コミュニケーションプランナー」という仕事は、まさに私がやりたい仕事そのものなんです。
武田
地域の人たちは、外国人に対しての接し方がよく分からないと思うんですよね。なぜなら、まちなかでしょっちゅう見かけるほど外国人がいないから。珍しい存在で、どうアプローチしたらいいか分からない。だから、躊躇してしまうんだと思います。
逆に、外国人は地域の人たちの反応から、不安や疎外感を感じているのではないかと思っています。私も外国に暮らしていたので、そんなことを感じた経験があります。この2者の関係をつないで、円滑なコミュニケーションが取れるような機会をつくっていきたいと思っています。
そして、佐賀に暮らす日本人も外国人も、自分の友人に「佐賀っていいところだよ、暮らしやすいよ」と言いたくなるような環境にしたいです。
暮らす前から、すでに佐賀愛に溢れる武田さん。これから佐賀でやってみたいことはどんなことでしょうか。そして、将来はどんなことをやってみたいと思っているのか、伺いました。
武田
休日には、佐賀の色んなところを巡りたいですね。地元の人が行く、昭和感の残ってる喫茶店みたいな、何十年もやってるけど目立ってないようなところに行きたいです。
新しい趣味も始めてみたくて、山登りとか釣りとかやってみたいですね。魚を捌けるようになりたい!
武田 将来は、佐賀と海外をつなぐ人になりたいです。ドイツに住んでいたからこそ思うのですが、佐賀とドイツってまちや人の感じや規模感が似ている気がしています。きっとドイツ人は佐賀のことをすごく気に入るんじゃないかなって思ってるんです。だから、ドイツや世界中の人たちに佐賀のいいところをたくさん伝えてつなげていくような仕事をしたいです。
趣味に仕事にやりたいこと盛りだくさん! ドイツでの経験を活かし、武田さんはどんな人たちをつないでいくのでしょうか。新しい佐賀の魅力が発掘されそうです。
取材・文 佐々木 元康